1.華厳思想を臨床に生かす
華厳思想の中の、三つの重要な概念について
東洋の基本的な世界観を表すと言われる“華厳思想”を理解するために、華厳思想を表す三つの重要な概念について、まず説明します。
(1)事事無礙(じじむげ)
礙とは礎(いしずえ)と同義です。この世の中には絶対的なものは何一つなく、すべてが相対的な現象世界であるとする考えです。
(2)重重無尽(じゅうじゅうむじん)の関係
無尽とは尽きないことです。例えば真ん中にろうそくを置き、周りに十個の鏡を並べると、互いの鏡は炎を映し合って幾重にもなるというように、世界の物事すべてが限りない縁でお互いに結ばれているということです。
(3)一つの微塵(砂粒)の中に宇宙全体がある
いくつかのものが集まって一つの全体を構成する“構造物(システム)”は、その部分と全体、そして部分と部分の間に、見えないが多彩な関係がはっきり存在しているからこそ構造(システム)が成立し、活動できるということです。
そうした場合、部分同士は互いに異なるからこそ、更には部分と全体は決して同じではないからこそ関係が成立し、全体の構造物も部分も、共に生きることができます。見方を変えると、どのような部分であれ、その部分の要素の中にその全体の構造(システム)を含んでいます。システムの中の役職、肩書のようなものです。
私達の生きている世界、宇宙そのものにとって、その構成要素に無駄なものはなく、何物も欠くことができません。一つの全体を構成している時、その宇宙のどんな部分にもその全体がある。逆に言えば要素の一つでも欠ければ全体の、今の状態が成り立たなくなるということです。
華厳思想を臨床に生かす
(1)関節の痛みについて
例えば一人の患者さんの1カ所の関節に痛みがあるとします。
身体のどの関節でも、それは独自のものです。しかしそれは独自でありつつも、その中に身体のすべての構造を含み、身体のすべての局所との関係性の中に存在していることも忘れてはなりません。この関節が痛いのはそこの軟骨がすり減ったからだ、いつもここばかり使っているからだなどと、短絡的に“原因-結果の連鎖”を見出そうとしないことが大切です。
1カ所の関節は即ち身体全体であり、その関節の構造や動きは、身体全体の構造、姿勢、動き等を反映しています。従ってこの関節の痛みが軽快する為には、身体全体の姿勢や動きを含め、全てが良い方向へ変らなければなりません。短絡的に“原因-結果の連鎖”を見出すのではなく、“共時的な全体構造の把握”が大切です。
もちろん我々には全構図は見えませんが、できる限り広い関係性を見ようと努め、その病態の在りようをうまく読み、その中から短・中・長期的な治療戦略や再発予防策を組み立てねばなりません。
(2)脊柱(背骨)と脊椎との関係
脊柱(背骨)と脊椎との関係もまた、華厳思想にある“全体と構成要素との関係”で考えるとよく理解できます。24個のそれぞれの脊椎は、それ自体として存在していますが、そのままで独立して働いているわけではなく、脊椎が秩序正しく並んで脊柱(背骨)を作って初めて身体の支柱として重要な働きをすることができます。
脊柱の動きは、脊椎が互いに“重重無尽”の影響を及ぼし合いながら全体で動いているのであって、ある特定の脊椎を基準に動いているわけではなく、事事無礙(じじむげ)の状態にあります。また、脊椎は絶えず動いて周囲との関係性を刻々と変えていますが、脊柱全体からみると、常に重心のバランスをとりながら身体を支えています。
なぜそのようなことができるかと言うと、脊椎の一つ一つに、“バランスをとりつつ身体を支える”といった脊柱の特性と構造が内在されているからです。これが“一つの微塵(砂粒)の中に宇宙全体がある”という考えです。
仮に、不慮の事故で一つの脊椎の構造と動きが変わるとします。脊柱は全体でバランスをとる必要から、即座に全部の脊椎の動き方を変えようと反応し始めます。この際には、外力を受けた脊椎のみならず、二次的に動きを変えられた脊椎にも思わぬ負担が掛かり、事故を直接受けていない部分が痛みの発生要因となる可能性もあります。従って、治療の際には局所や症状に捉われず、全体が均等でスムーズな動きを取り戻せるように、全体を調整することを最重要とする必要があります。
脊柱の動きはまた、“竹で作ったヘビの玩具”の動きにたとえることができます。脊椎に相当する竹の節を連ねたヘビの玩具全体で、実際のヘビのような均等でスムーズな動きを表現できます。この時に竹の節を留めている1カ所の針金が壊れかけて不安定になったとします。それでも手元で微調整することで、不安定な箇所の動きを小さくして、全体でヘビのような柔軟な動きを作ることが可能です。また、不安定な箇所を針金で固定してしまうと、別の箇所の動きが大きくなって、次にはその別の場所が壊れてしまうこともあります。前者は、身体が自ら行っている、障害を受けた場所に負担を掛けない調節作用を、後者は外から行う、他力による治療の難しさを、それぞれ示唆しています。
華厳思想から、現代の西洋科学医学、東洋医学、ゆがみ取り体操を考える
(1) 現代西洋科学医学の問題点
現代医療の主流の西洋科学医学は、化学、物理学、数学等の周辺科学の成果を積極的に取り込み利用することで人体や病気の仕組みを解明し、それを実際の医療に役立てて来ました。例えば、西洋医学が検査や治療の対象とするスケールレベルは、臓器レベルから細胞・細菌等の顕微鏡レベルへ、最近では遺伝子やウイルスの蛋白質等分子レベルへと、より微細・精緻な方向へ変化して来たのも、現代医学の大きな進歩と言えます。最近の新型コロナウイルス感染症に対するメッセンジャーRNAワクチンなど、私達は現代西洋科学医学の大きな恩恵に預かることができています。
しかしそのような現代西洋科学医学でも、大きな欠点があります。それは、そこで扱われる対象は、「科学的に扱えるもの」、すなわち客観的、論理的に扱えて、再現性を持つものに限定されていることです。
特に問題なのは、患者さんが訴える苦痛や悩みには、いまだに科学的に扱えない現象が多々あるにもかかわらず、今まで得られた“科学的知識”のみで、目の前の現象のすべてを説明し対処しようとすることです。
(2)セルフケア=(イコール)養生の知識は、西洋より東洋の方が優れている
最近は、生活習慣病や要介護になるのを予防するため、自分の身体を自分で手入れする「セルフケアの考え」が大切になっています。その為に必要な身体の観察や手入れの分野は「養生」という言葉で代表されるように、東洋では昔から盛んに行われて来ました。東洋での養生に対する知識量、理解度、きめ細かさなどは、西洋のそれをはるかに凌駕しています。それはこの分野では、人体を全体の動きのつながりやバランスで見る、華厳経を中心とする東洋思想の人体観の方が、西洋科学医学の機械論的な人体観よりも、はるかに役立つからです。
(3)「体のゆがみ」は生活習慣病の成り立ちに深くかかわっている
東洋医学の基礎理論である「経絡理論」をはじめ、鍼灸治療、気功治療、太極拳など、更には{東洋医学の基本は体のゆがみを正すことにある}と看破された橋本敬三先生が作られた操体法などは、すべての部分はつながり合い、互いに影響を及ぼし合いながらもバランスをとって動いているという、華厳経の世界観で身体を観ています。さらにそれを実際の手入れのレベルにまで具体化し、しかも、その治療効果が極めて高いことなどが、これらの東洋医学物理療法のすばらしいところです。これは、現代科学医学体系の中で漢方薬や鍼治療などの東洋医学技術体系のみを使うということとは、根本的に異なっています。
(4)より根源的な、生活習慣病対策のために
(3)で述べたように、体のゆがみが、多くの不調や病気を作ることに昔の人は気付いていました。そこでは、“すべての事象は互いにつながり合って変化している”という華厳思想の存在の意義は大きかったと思われます。一方、現代の西洋科学医学では「科学的根拠=エビデンス」を求める姿勢が強く出るので、ゆがみのように「絶えず移ろいゆくもの」は切り捨てられ判断根拠に上がりません。
現代のパソコン中心のデスクワーク、車や交通機関中心の移動、自宅でもイス座位中心の生活など、現代生活は体をゆがめる要素にあふれています。青年勤労者の体の不調の原因のほとんどは体のゆがみによるものと考えられますので、身体活動やゆがみ取りに対する教育の機会を確保することが喫緊の課題です。
2.「ゆがみ取り体操」の普及は、SDGs(Sustainable Development Goals)の一つ
特に、正座を正式な座位姿勢としている日本では、ゆがみのない立ち居振る舞いや正座の美しさなどに特別の価値を与え、そこに「日本人の倫理観や美意識の身体的基礎」を置いてきました。それは今でも変わらない、世界に通じる普遍的なものと考えています。日本から「ゆがみの医学」を発信する意味はそこにあります。
同時に、大部分の一般的な不快症状体の原因になる“体のゆがみ”を自分で正す「ゆがみ取り体操」は、Sustainable Development Goals(SDGs)の一つでもあります。 体のゆがみでできた筋肉の凝りや痛みのための服薬や、鍼灸、整体など徒手矯正療法で治療するより、自分で自身のゆがみに気付き「ゆがみ取り体操」を続ける方が、はるかに効果的です。また、ゆがんだ体にさらに負荷を掛けないために、「ゆがみ取り体操」をトレーニングの基本にする必要があります。
若い人が日々元気に過ごすのも、高齢者が健康寿命を延ばして生涯現役を目指すも、体のゆがみを自分で正すのが一番大切です。
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